こんばんは、インチョです。
すんげ寝不足です・・・
なんか昨晩とか、全然手足に力が入らなくて、まともに立てないような状態だったので、
オシッコマットの上で、ガサガサ音がするたびに起きて殿ちの様子を見てたので、
4時過ぎくらいまで寝られませんでした・・・(さすがに、その後は寝ましたが・・・)
で、今朝も、ウンチも出てるし、そこまで具合が悪い・・・って感じではなかったのですが、
いかんせん、全くペレットを食べてくれないし、お水も、大好きなお薬も飲んでくれなかったので、
先週行ったばかりだったのですが、今週もさいとうさん家に連れて行きました!


胃の辺りを押さえると痛がるとのことで、痛み止めのお注射と、
水分補給のぶっといお注射をしてもらいました!



ちうことで、今日のお昼は、

近所のラーメン屋さん『富白』の鶏塩タンメンでした!
夕方にはペレットも食べるようになったし、だいぶ調子も戻ってきました!
まぁ、歳も歳なので、まだまだ完全には安心できませんが、とりあえず大丈夫そうです!
今回も、ご心配いただきまして、ありがとうございました!!・・・・・クリ~ック!
- 2019/03/26(火) 23:48:20|
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こんばんは、インチョです。
実は、姉が原因不明の疾患により、先月の14日より入院しておりまして、
今日現在、まだ、この先どうなるのかがわからないため、4月のうさヘスへの
出展をキャンセルとさせていただきました。
楽しみにしてくださった方・・・大変申し訳ございませんが、どうかご了承ください。
以下は、インチョの備忘録として、今回の入院について記しておりますので、
すごく長くなりますし、興味のない方は、スルーしてくだいね!
お話の前提として、インチョと姉の生活様態について簡単に説明すると、
インチョの自宅は4階建てのビルで、2階が治療院で、3階と4階が自宅となってます。
が、7~8年前にインチョの部屋のエアコンが故障してからは、インチョは治療院で寝泊りしてます。
(エアコンが昔のセントラルヒーティングちう代物なので修理はできず、交換するには全部屋の子機と
大元の機械を交換しないといけないので、たいそうなお金がかかるそうなので、交換せずにいるため・・・)
ですので、朝、シャワーを使う時と、晩御飯の時だけ、3階に上がるという生活です。
姉は基本、4階の自室で生活し、必要な時に3階のキッチンに降りて来るという感じです。
一番最初に、姉の異変に気づいたのは、昨年の夏頃でした。
両手が細かく震えていて、いわゆる震顫というものなのですが、
震えていたり、震えていない時もあったりしてたので、それほど気にはしていませんでした。
また、インチョ、平日の晩御飯は、姉が作ってくれて、一緒に食事をする・・・とういう生活をしてましたので、
夕飯がいらない時は必ず『今日は晩御飯はいりません』と連絡をしていました。
が、この頃から、『今日は晩御飯はいりません』と連絡したのに、『間違って食事作ったから食べない?』
とか、朝に『今日は体調が悪いから自分で食べて!』とメールがあったので、自分で食事をしたら、
いつもの食事時間に『今日はご飯食べないの?』っていうメールが来たり、と、なんか意思の疎通に
事欠くことがチラホラ見受けられるようになってきました。
ちなみに、姉は生まれつきの難聴で、補聴器をつけてない時は、耳元で大声で話さないと会話は成立しません。
ですので、平日の夕飯時とかはほとんど会話はありません。何か連絡する時は、メールでやりとりするのが常でした。
さらに、上記以外にも細かいことで、『あれっ?』って思うことが何度かあったので、
年が明けたら、一度、神経内科で認知症の検査してもらおうね・・・って話していました。
ただ、普通に一人で買い物に行ったり、外出したりしもしてたので、それほど大事とは思ってませんでした。
そんな中、事態が動いたのは年末の12月30日でした。
姉から、『キッチンで転倒して足を打って、痛くて歩けないから、予約してるおせち料理を
近くのデパートまで取りに行ってくれる』とのメールがあったので取りに行って、お正月を迎えました。
例年は、元日の朝だけ、一緒におせちとお雑煮を食べるんですが、今年は、
『先にいただいたから、自分で食べて!』って・・・・メールが・・・・
あれっ?って思いましたが、まぁいいか!ってことで、スルーしてました。
また、今年は6日までお休みだったので、食事も別々でした。
そうしたら1月6日に、痛みが引かないので整形外科に連れて行って欲しいとのメールがきたので、
翌7日の朝に、近所の整形外科に連れて行きました。
結果は、転倒による恥骨骨折、全治1ヶ月とのことで、
特に治療が必要な訳ではなく、湿布及び安静にしておけば2~3週間で痛みも取れるし治るので、
また1週間後にきて下さいとのことでした。
ただ、普通に一人で歩けるような状態ではなかったので、杖を買ったり、
必要最低限の労力で生活できるように、最初は食料(レトルト食品とパスタ等)や水を用意してました。
また、都度必要な物があれば、メールで依頼があったので、買いに行ったりしながら、
なんとか生活できてる・・・という状態でした。
ところが、3週目に入った頃からは、時間的な感覚がおかしくなってきていて、
毎週、月曜日の朝に行く整形外科なのですが、日曜の夜9時頃に2階の治療院に降りてきてしまったり、
月曜の朝も、7時くらいに降りてきちゃったり・・・・全然、その辺の感覚が狂ってしまってて・・・
さらに、この頃、杖を使っていても転倒することが何度かあったため、危険防止のため、
食事は、火を使わないで済むようにデパ地下やコンビニでのお弁当を買ってくるようになりました。
この頃の状態を見て、どう見ても普通じゃないし、そもそも年末に段差もなにもないキッチンで転倒
すること自体がおかしいので、整形外科に行った際に医師に聞いたところ、
『パーキンソン病かもね・・・』とのことで、骨折の方が落ち着いたら紹介状を書いてもらうことになりました。
が、落ち着いてから地元の大きな病院(三井記念病院)に予約を入れてもすぐに診てはもらえないと思ったので、
事前に電話で予約を取ろうとしたところ、すでに2月6日で診察予約が入っているとのことでした。
はい、姉は姉で何かの異変を感じていたらしく、昨年の10月に神経内科を受診していたんです。
後日知ったのですが、この時は、パーキンソン病的な症状はあったものの、非常に軽度だったため、
しばらく様子をみましょう・・・・とのことだったみたいです。
1月28日、整形外科に行ったところ、恥骨骨折の方はほぼ完治したとのことでした。
で、2月6日に三井記念病院の神経内科に付き添ったところ、前回と同じ医師が診察し、
パーキンソン病の確定診断に必要なDATシンチ検査の予約を12日に入れ、当日は、すぐできる
血液検査及びCT撮影を行いました。
ところが、この頃から姉の状態がじょじょに悪化してきて、10日頃は転倒しても自力で起き上がれなく
なったり、ベッドからも自力で起き上がれなくなってました。
ただ、会話はわりと普通にできていましたが・・・
そして、12日にDATシンチという検査を受け、翌13日に検査結果を聞くために再度病院に行きました。
で、検査結果なんですが、医師が検査画像みみながら首をかしげて、『こんな画像は見たことない・・・』
『何が起こってるのかわからない・・・検査入院して詳しく調べましょうか?』とのことだったので、
このまま自宅にいても危険だし、是非!ってことで、翌日の14日から検査入院することになりました。
この時点で、フラフラして一人で歩くことはできませんが、名前や生年月日等はしっかりと受け答え
できてました。
後日、聞いたところ、入院初日に簡単な認知症の検査を行ったところ、30点満点中25点で、認知症では
ないとの診断だったそうです。
ところが、翌日、病院から、急な発熱があり肺炎が疑われるのでHCU(高度治療室)に移りましたとの
電話があり、面会に行ってみると、熱は41.7度まで上がって敗血症も発症して予断を許さない状態でした。
抗生物質等投与によって3日後には熱も下がり元の病棟に戻ったんですが、いかんせん意識レベルが
相当下がってしまってて、ほとんど会話もできない状態でした。
その後も37度台の微熱はなかなか治まらなかったんですが、状態は落ち着いていたので、
26日からパーキンソン病の特効薬であるLドパの投与を開始しました。
DATシンチの画像診断でパーキンソン病であるとの診断はくだせなかったものの、Lドパという
ドーパミン前駆物質を投与することで、状態が改善されれば、それはそれで診断基準のひとつ
なるんだそうです。
しかし、投与開始後3日くらい経った頃、再度、尿路感染による38度を超えるような熱が出てしまい、
そして1週間経っても状態に変化はありませんでした。
つまり、姉はパーキンソン病ではなかったというとです。
3月4日、主治医から話しがあるとのことで呼び出しがあり、病院に行ってみると、
今までの経緯を詳細に検討した結果、治療方針を変更するとのことでした。
以前撮ったCT画像に卵巣の奇形腫が認められるので、それによる脳症を疑っているそうで、
そのためには腰椎穿刺及びMRI検査をしなくてはいけないので、その同意書、及び卵巣奇形腫
の摘出手術の同意書が欲しいとのことでした。
医者が疑っているのは抗NMDA受容体抗体脳炎というもので、卵巣の奇形腫が抗体を作ってしまい
その抗体が脳を攻撃するために起こる脳炎で、自己免疫系脳炎らしいです。
ちなみに、『8年越しの花嫁!』という映画は、NMDA脳炎を患ったヒロインの物語です。
ところが3月7日にMRI検査をしたところ、卵巣奇形腫だと思われたものは子宮筋腫だったそうで、
卵巣の奇形腫が原因の脳炎ではないことになったのですが、脳脊髄液の検査結果から、
何らかの抗体による脳炎であることは明確になったので、治療を優先し、8日よりステロイドパルス療法
というものを開始しました。
ちなみに、脳脊髄液の抗体の種類等を限定するには大学等の専門機関にゆだねないといけないので
時間がかかるそうです。
ステロイドパルス療法とは、高濃度のステロイドを3日間静注し1週間おく、これを1クールとして3クール
繰り返すものです。
ちなみに、姉の意識レベルは低いままで、目は開けていても、呼びかけにもほとんど応じない状態です。
主治医曰く、火曜日くらいから効果が現れるんじゃないかとのことでしたので、今現在まだ、効果のほどは
わかりませんが、効果があってくれることを期待しているのですが・・・・・
以上 本当に長文になってしましましたが、年明けからこんな状態で、家にいる時は、いつ転ぶかわからないし、
入院してからもいつ呼び出しがあるかわからない・・・っていう日々が続いてるため、
落ち着いての創作活動も全くできていなのと、この先もどうなるのか全く予想ができないので、
うさフェスに参加するのは無理があると判断したしだいです。
ただ、勘違いしないでいただきたいのは、大変なのはあくまで姉であって、インチョはそこまで大変では
ないということです。毎日、病院にも行ってますが、意志の疎通も図れないのでせいぜい30分程度
しか病室にはいませんし、それ以外はわりと普通の生活をしています。
- 2019/03/10(日) 23:28:11|
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